なぜ「はてな」でも「note」でもなく、自分のブログなのか。
「はてな」や「note」は、今日も元気に稼働している。便利だしUIはキレイだし、当然ながらユーザーもとても多い。最初に白状しておくと、私も最初は「あっちのオシャレな村の住民になろうかな♡」と考えていた。
だけど、次に述べる理由で個人ブログを立ち上げることにした。思考がひねくれているのは、おそらく個人の資質であって、世代のせいではない――たぶん。
理由その1:盛者必衰の理がある
私たちは、この世に永遠に続くものが何ひとつないことを知っている。21年以上にわたって続いていた「gooブログ」が2025年11月に終了した時は、「インターネットの1つの時代が終わった」と嘆くネットユーザーであふれた(←だいたい同世代)。
就職 氷河期を生き延びた私たちは、「組織は自分を守ってくれない、ましてやIT企業の利用規約はもっと守ってくれない」という真実を学習済みだ。
自分だけのドメイン、自分だけのサーバー。 これは「こだわり」ではなく、いつ何が起きてもいいように避難しておく生存本能といえる。
理由その2:膨大なユーザーとしのぎを削る競争に、もう参加したくない
正直いうと、これが本音である。
「note」には、今日も無数の記事が投稿されている。渾身の考察や評論、感動的なエッセイ、惹きつけられるタイトル。「スキ」を集めるために、「フォロワー」を増やすために、「おすすめ」に載るために、今日も戦っている。
その戦いに参加する体力と気力がない。
プラットフォームの競争は、ゲームのルールをプラットフォームが決める。アルゴリズムが「これを読め」と言えばそれに従わざるを得ない。どれだけ丁寧に書いた記事でも、アルゴリズム次第で永遠に日の当たる場所に出られない。
就職氷河期の新卒採用に似ている。どれだけ優秀でも、景気というアルゴリズムが「採用しない」と言えば終わり。その理不尽を20代のときに全身で受けたのに、五十を過ぎてまた同じゲームをやれと言われても。
理由その3:きらきらのプラットフォームに気後れする
ここまで「リスク管理」とか「競争が嫌」とか、それらしい理由を並べてきた。
でも本当のことを言うと、怖かった。
「note」を開けば、いつも洗練された記事が並んでいる。文章がうまく、写真がきれいでプロフィールもかっこいい。フォロワーが1万人いる。スキが3000個ついている。
自分の書くものなんて、ここに並べられねーよ。
50代にもなって、インターネットの片隅でびびっている状態、これを「気後れ」と呼ばずに何と呼ぶのか。
でも、私だけではないはずだ。
団塊ジュニア世代は、まわりと比べられ続けた世代だ。偏差値で比べられ、就職先で比べられ、年収で比べられ、役職で比べられてきた。プラットフォームのフォロワー数やスキの数は、その延長線上にある新しい偏差値のようなもの。数値化された瞬間に、私たちは反射的に「自分はどのくらいか」を計算し始める。その答えはたいてい「下のほう」。
だから気後れする。
ならば最初から、その土俵に上がらなければいい。アルゴリズムに評価される必要もない。誰かと比べられる数字が、そもそも存在しない。
氷河期世代の処世術は、戦わない戦場を選ぶことでもある。私、在宅フリーランスなんだし。
そして、自分の場所を作ることにした
「dankaijr.online」というドメインを取得した。
アクセスは少ないかもしれない。バズることも、たぶんない。
でもここは、取り壊される心配もなく、書きたいことを、書きたいときに、書きたい量だけ書ける。
それだけで十分だと思っている。
「好きなことで生きていく」世代がYouTubeで稼ぎ方を語る横で、静かに自分の場所を作る。派手さはないが、なくならない。氷河期世代の処世術は、そういうものだ。
プラットフォームの栄枯盛衰を横目に見ながら、dankaijr.onlineは今日も、ひっそりと更新される。
たぶん。
あなたはどこに「自分の場所」を作っていますか?